2009年 06月 14日
分かりたいという欲望について |
“ネットカフェで夢を見る 難民てほど酷くもない”
(SEEDA 『JUST ANOTHER FEELIN』)
さまざまな事情からネットカフェを利用していた人々に、「難民」という二文字を当てたことがテレビ局側の最大の発明で、まぁそれは良いとしても、その造語が巷にあふれ出した途端、それまでただの「利用者」だった人たちが自ら「難民」として振る舞うようになってしまったのが、いかにも言葉の恐ろしいところ。
あるいは、たまたま(?)道端に座り込んでいた若者の写真に、「希望を失った若者が倒れている」といった爆笑もののキャプションをつけたのは三浦某のベストセラー『下流社会』だったけれど、大事なのはそうした煽りに対して必要以上にビビらないことだと思う。
それから、「ネット難民」でも「下流社会」でもなんでも良いけれど、ある状況なり立場について考えるとき、たとえ便利だからといって、いや便利だからこそ、そうした言葉の枠組みを無批判に受け入れてしまわないこと。たまに、どこで覚えてきたのか「今は○○社会だから」などと、したり顔で語る同世代の知人に出くわすことがあるが、そんな野郎にはキョンシーよろしく「○○社会」と書いたお札を額に貼りつけてやればいいのです! が、そんな話を真剣に聞いている女の子に限ってけっこうタイプだったりして…世の中は複雑きわまりない。
そう、世界はもともと複雑なんだから、容易に理解(=安心)しようなんて思わないことだ。複雑さに留まり続けるのはなかなか難しいことだけれど、そうしないと世の中は広告屋の言葉だけになってしまう。そんなことをSEEDAのアルバムを聴きながら、薄ぼんやりと考えていた今日の帰り道。
(SEEDA 『JUST ANOTHER FEELIN』)
さまざまな事情からネットカフェを利用していた人々に、「難民」という二文字を当てたことがテレビ局側の最大の発明で、まぁそれは良いとしても、その造語が巷にあふれ出した途端、それまでただの「利用者」だった人たちが自ら「難民」として振る舞うようになってしまったのが、いかにも言葉の恐ろしいところ。
あるいは、たまたま(?)道端に座り込んでいた若者の写真に、「希望を失った若者が倒れている」といった爆笑もののキャプションをつけたのは三浦某のベストセラー『下流社会』だったけれど、大事なのはそうした煽りに対して必要以上にビビらないことだと思う。
それから、「ネット難民」でも「下流社会」でもなんでも良いけれど、ある状況なり立場について考えるとき、たとえ便利だからといって、いや便利だからこそ、そうした言葉の枠組みを無批判に受け入れてしまわないこと。たまに、どこで覚えてきたのか「今は○○社会だから」などと、したり顔で語る同世代の知人に出くわすことがあるが、そんな野郎にはキョンシーよろしく「○○社会」と書いたお札を額に貼りつけてやればいいのです! が、そんな話を真剣に聞いている女の子に限ってけっこうタイプだったりして…世の中は複雑きわまりない。
そう、世界はもともと複雑なんだから、容易に理解(=安心)しようなんて思わないことだ。複雑さに留まり続けるのはなかなか難しいことだけれど、そうしないと世の中は広告屋の言葉だけになってしまう。そんなことをSEEDAのアルバムを聴きながら、薄ぼんやりと考えていた今日の帰り道。
by gnk-one
| 2009-06-14 05:23
| DAYS/MEMO