2010年 06月 11日
HOMERUN×RAH EXHIBITION!! |
まずは次の言葉たちにそっと耳を傾けてほしい。後者はちょっぴり長いけれど、とても大切なことが書かれているのでなるべく省略せずに引用させてもらった。
「ストリートってドキドキするとこ。初めて会うものが多いんだよね。初めて目
にするもの、聴くもの、考えることが多い。自分に対しても、それが自分にはね
かえってくるし。何かを発見する、発見したいためにそこに行く。(中略)
ここゲットーだなーとか、ここリッチだなーとか、つまんねーとか、色気ねーな
ここ、とか。自分の目と体感で。それを感じてかたちにする」
「俺はみんなのこと好きですよ、みんなのこと愛してますって感じ。悪気はない
よっていう(笑)。攻撃的なものだけど。(中略)例えば亡くなったやつの名前
が九八年だから七年間、いろんなとこに増え続けてる。誰かがやってるかもしれ
ないし、もう彼がやってるともいえるんだけど。彼の名前だし。俺は会ったこと
なくて人から話を聞いたんだけど、すごく美しいんですよね、そいつの考え方
は。人を死ねって思ってやってることじゃない、全然その反対でなぜみんなけん
かしあうんだって思ってやっている。それが未だにその人のかたちとしてあり続
けている。その人の心が手は変わったかもしれないけど生きて増え続けている。
(中略)誰かの心の中に誰かの心をかりて」
/WANTO「東京をタグで埋めつくす」『音の力<ストリート>占拠篇』
それが<ウォント>なのか<ワント>なのか、どちらの読み方が正しいのかは知らないけれど、そしてそのことについてあまり興味もないけれど、私がこの7年間、東京中(いや、神奈川や大阪でも)のいたるところで目にし、撮影し、追いかけてきたグラフィティ・ライターのひとりがWANTO(WANT)であることだけは確かだ。
WANTOは東京のグラフィティ・ライターである(本人はグラフィティ・ライターという呼称を嫌がるかもしれないが、ひとまず便宜的にそう書く)。
何故、わざわざ「東京の」と断り書きをしたのかというと、高度資本主義経済の下、あらゆるモノや情報が集まり、混沌と化した現在の東京の街並を背景にしたとき、いよいよその強烈な存在感とヒリヒリとした描線の鋭さが際立つライターだと思うからだ。WANTOのタグやスロウアップを見るたびに、「これが東京だろ!」と言われている気がしてならない。富士には桜、東京にはWANTO。
初めて撮ったのは2003年、246沿いを池尻大橋から三軒茶屋へと向かってグラフィティ観察していたときだった(写真1)。「謎の物体」というのが第一印象で、その後も通り沿いに同じピースを見つけるたびに不思議な気分になったものである。当時、246沿いは駒沢公園あたりまで<NSK CREW>が最高にクールだった。
2005年に和泉多摩川のトンネル内で見た鮮烈なレター(写真2)以降、個人的には、街で見かけるWANTOのグラフィティはあえて成熟を拒否するかのように荒々しく、ラフなもの(写真3)になっていった印象がある。
冒頭に引用した言葉を含むインタビューを読んだのはその前だったか後だったか。インタビュアーは(のちに大学の先輩であることを知る)近藤真里子さん。とても貴重な仕事だと思う。
亡くなったはずのグラフィティ・ライターのタグネームが、世界中の街角に増殖しているという話題を紹介したあとでの、WANTOの発した言葉が忘れられない。「誰かがやってるかもしれないし、もう彼がやってるともいえるんだけど」それは“ロマンティスト”なんて揶揄では到底片付けられない、グラフィティを続けてきた人間にしか吐くことのできない、強さと優しさに満ちたリアルな言葉だった。
ときどき夜中に独りで歩いていて、その「亡くなったはずのグラフィティ・ライターのタグネーム」を見つけたとき、しばしWANTOの言葉が残した不思議な余韻に包まれることがある。
と、前置き(だったの!?)がずいぶん長くなってしまいましたが、ここで大事な展示会のご案内です。
WANTOとSECT(グラフティライター)のふたりが新たに始めたアパレルブランド、HOMERUNと横浜のセレクトショップ、RAHとのWネームワークパンツ(+ベルト)が販売されることになり、それを記念したエキシビジョンが明日から30日までRAHの店内で開催されるそうです! 内容についてはブログを読んでもらうとして、興味のある方は是非、「自分の目と体感」を頼りに遊びに行ってみては如何でしょうか。何か発見があるかも。
ちなみに、当ブログの読者には既におなじみだと思いますが(?)、RAHってのはおれの高校のパイセンたちがやってるイカした洋服屋のことだ!
▲WANTO(2003年)。池尻大橋〜三軒茶屋。 ▲WANTO(2005年)。和泉多摩川。 ▲WANTO(2010年)。南麻布。
「ストリートってドキドキするとこ。初めて会うものが多いんだよね。初めて目
にするもの、聴くもの、考えることが多い。自分に対しても、それが自分にはね
かえってくるし。何かを発見する、発見したいためにそこに行く。(中略)
ここゲットーだなーとか、ここリッチだなーとか、つまんねーとか、色気ねーな
ここ、とか。自分の目と体感で。それを感じてかたちにする」
「俺はみんなのこと好きですよ、みんなのこと愛してますって感じ。悪気はない
よっていう(笑)。攻撃的なものだけど。(中略)例えば亡くなったやつの名前
が九八年だから七年間、いろんなとこに増え続けてる。誰かがやってるかもしれ
ないし、もう彼がやってるともいえるんだけど。彼の名前だし。俺は会ったこと
なくて人から話を聞いたんだけど、すごく美しいんですよね、そいつの考え方
は。人を死ねって思ってやってることじゃない、全然その反対でなぜみんなけん
かしあうんだって思ってやっている。それが未だにその人のかたちとしてあり続
けている。その人の心が手は変わったかもしれないけど生きて増え続けている。
(中略)誰かの心の中に誰かの心をかりて」
/WANTO「東京をタグで埋めつくす」『音の力<ストリート>占拠篇』
それが<ウォント>なのか<ワント>なのか、どちらの読み方が正しいのかは知らないけれど、そしてそのことについてあまり興味もないけれど、私がこの7年間、東京中(いや、神奈川や大阪でも)のいたるところで目にし、撮影し、追いかけてきたグラフィティ・ライターのひとりがWANTO(WANT)であることだけは確かだ。
WANTOは東京のグラフィティ・ライターである(本人はグラフィティ・ライターという呼称を嫌がるかもしれないが、ひとまず便宜的にそう書く)。
何故、わざわざ「東京の」と断り書きをしたのかというと、高度資本主義経済の下、あらゆるモノや情報が集まり、混沌と化した現在の東京の街並を背景にしたとき、いよいよその強烈な存在感とヒリヒリとした描線の鋭さが際立つライターだと思うからだ。WANTOのタグやスロウアップを見るたびに、「これが東京だろ!」と言われている気がしてならない。富士には桜、東京にはWANTO。
初めて撮ったのは2003年、246沿いを池尻大橋から三軒茶屋へと向かってグラフィティ観察していたときだった(写真1)。「謎の物体」というのが第一印象で、その後も通り沿いに同じピースを見つけるたびに不思議な気分になったものである。当時、246沿いは駒沢公園あたりまで<NSK CREW>が最高にクールだった。
2005年に和泉多摩川のトンネル内で見た鮮烈なレター(写真2)以降、個人的には、街で見かけるWANTOのグラフィティはあえて成熟を拒否するかのように荒々しく、ラフなもの(写真3)になっていった印象がある。
冒頭に引用した言葉を含むインタビューを読んだのはその前だったか後だったか。インタビュアーは(のちに大学の先輩であることを知る)近藤真里子さん。とても貴重な仕事だと思う。
亡くなったはずのグラフィティ・ライターのタグネームが、世界中の街角に増殖しているという話題を紹介したあとでの、WANTOの発した言葉が忘れられない。「誰かがやってるかもしれないし、もう彼がやってるともいえるんだけど」それは“ロマンティスト”なんて揶揄では到底片付けられない、グラフィティを続けてきた人間にしか吐くことのできない、強さと優しさに満ちたリアルな言葉だった。
ときどき夜中に独りで歩いていて、その「亡くなったはずのグラフィティ・ライターのタグネーム」を見つけたとき、しばしWANTOの言葉が残した不思議な余韻に包まれることがある。
と、前置き(だったの!?)がずいぶん長くなってしまいましたが、ここで大事な展示会のご案内です。
WANTOとSECT(グラフティライター)のふたりが新たに始めたアパレルブランド、HOMERUNと横浜のセレクトショップ、RAHとのWネームワークパンツ(+ベルト)が販売されることになり、それを記念したエキシビジョンが明日から30日までRAHの店内で開催されるそうです! 内容についてはブログを読んでもらうとして、興味のある方は是非、「自分の目と体感」を頼りに遊びに行ってみては如何でしょうか。何か発見があるかも。
ちなみに、当ブログの読者には既におなじみだと思いますが(?)、RAHってのはおれの高校のパイセンたちがやってるイカした洋服屋のことだ!
by gnk-one
| 2010-06-11 06:49
| DAYS/MEMO